Gratitude〜声が届くなら〜
慊潟まさし
「起きろー。起きろー。起きろー」
 目覚ましの声がリフレインしている。
 もう、朝なんだ……。
 そうは認識するものの、なかなか布団から抜けられない。というか、誰が好きこのんでお正月から早起きなどするのだろう? 初詣だって昼から行けば……。
 がばぁっ。
 紗苗は飛び起きた。目覚ましは相変わらずリフレインしている。
 ここまできたら、輪唱のような気がするけどね。
 軽く伸びをして、周りを見回してみる。カーテンの隙間から、薄日が射し込んでいる。
 紗苗は立ち上がってカーテンを開く。窓から見えるのは、抜けるような青空。
 やった。今日は天気がいい。
「うーん」
 隣で眠っていた姉の香苗が眩しそうに寝返りを打つ。
「お姉ちゃん、起きなよ。もう朝だよ」
 紗苗は近づいて揺するが、なかなか起きない。
「朝だよー」
 まだ起きない。もう少し強く揺すってみる。
 無反応。
「ねー、起きてよぅ」
 こうなったら仕方がない。本当は使いたくない手だけれど、使わないといけない状況になっている……かもしれないから。
「いい加減に、起きてーーーっ!」
 叫びながら布団を引き剥がす。この季節では一番効果のある起こし方だと思う。窓を開ければ、効果はさらに強大になるのだけど、風邪を引いたら大変なので、そこまではさすがにできない。
 敷き布団の上で横向きに寝ている香苗。気にしちゃいけないと思いながらも、ついついその胸に目がいってしまう。
 パジャマの上からもはっきりとわかる胸の膨らみ。それを見ると、つい自分のと比べてしまう。
 私の胸……すごく小さいよ・・・。
 普段は、他人との差異をあまり気にしないのだが、このことに関しては姉との差を痛烈に感じてしまう。
 このままだったらどうしよう・・・。
「う〜ん。さむ〜。あれっ、さっちん、おはよう。何やってんの?」
 香苗が目をさまし、上体を起こしたところで固まる。
「なっ、何でもないよ。おはよう、お姉ちゃん」
 自分の胸に近づきつつあった手を、ばっと後ろに回し、慌てて笑顔を作る。だが、香苗の顔にはたくさんの”?”が浮かんだままだ。
「さ、先に下りてるから、早く来てねっ」
 下手に言い訳をするとぼろが出そうなので、紗苗は逃げ出すことにしたのだった。
 
 
「おはよう」
 紗苗が香苗と一緒に玄関を出ると、急に声をかけられる。声のした方を見てみると、”弓月”と書かれた表札の横に、幼なじみの妹尾勇人がもたれかかっていた。
「おはよう、勇人」
「おはようございます、妹尾さん」
 二人同時に挨拶する。
 勇人はもたれるのをやめて、先に立って歩き出した。
 取り留めのない話をしながら、初詣に向かう。日はもう真上に来ているけど、目の前には沈みかけている白い三日月が浮かんでいた。
 紗苗はその白い月を見ながら、去年のことを思い出していた。
 去年の二月、私は風邪をこじらせて、生死の淵を彷徨った。
 
 白い病室の中、心拍数を監視する機械の音がリフレインしている。
 中央のベッドの上で眠っている私。
 その周りにいる、お父さんやお母さん、お姉ちゃんと妹尾さん。
 そして、それを上から見つめているもう一人の私。
 お母さんとお姉ちゃんは、時々小さく肩を震わせる。
 お父さんはお母さんの肩を抱き、妹尾さんはみんなを励ましている。
 それを見ていると、わたしの中に強い意志が生まれてきた。
 ”わたし、まだ死ねない”
 すると、ベッドの上に浮かんでいたわたしは徐々に高度を落とし、私と額が重なる。
 その瞬間、目の前に月が見えた気がした。
 真っ白な三日月・・・。
 そして、わたしは意識を失った……。
 
 ゴンッ!
「〜〜〜っ!」
 額が痛い。目がチカチカして、星が見えてるよ。
「ち、ちょっと、大丈夫?」
「さっちん、大丈夫か?」
 少し前を歩いていた香苗と勇人が慌てて引き返してくる。
 額に両手を当てながら、ゆっくり目を開けて顔を上げてみると、すぐそこには電柱が立っていた。どうも、この電柱にまともにぶつかったようだ。
 ぶつかった衝撃でしりもちをついた紗苗を、香苗が抱え上げる。
「大丈夫?」
 香苗が心配そうに、紗苗の顔をのぞき込む。
「うん、大丈夫」
 すごく痛かったけど、電柱に当たったぐらいでこれほど心配してくれるとは思ってなかったので、紗苗はとてもうれしかった。
 
 気を取り直して利降院神社へ向かう。表参道はかなりの人がいて、とてもじゃないけど通れそうになかった。
「仕方ない、奥の院に行くか」
 香苗と紗苗は、勇人の提案を素直に受け入れ、少し高い場所にある奥の院に向かう。そこへ向かう道は、元日にも関わらず、ほとんど人気がなかった。
 木の枝の間から射し込む光は優しく、大きな栗の木々に包まれた参道は、何か幻想的な雰囲気を漂わせていた。
 鳥たちの歌声を聞きながら、社へ続く数十段の階段を上ると、三人の前に奥の院が姿を現した。遠目に見ると、ひたすら古く、朽ちかけて忘れられた社のようだが、近づいて見てみると、細部にまで手入れが行き届いており、痛んだところも補修されて、本当に大事にされていることがよくわかった。
 三人は賽銭箱にお賽銭を投げ、手を合わせる。香苗と勇人は二度柏手を打ったが、紗苗はそうせず、そっと手を合わせた。
 
「香苗は何をお願いしたんだ?」
 参拝が終わり、奥の院の境内の石段に腰掛けていると、妹尾さんが口を開いた。
「当然、進学のことよ」
 お姉ちゃんはスパッと答える。
 そう、この四月からお姉ちゃんは中学三年生。来年の今頃には、受験戦争の真っ直中なのだ。だけど、それは妹尾さんも同じはず。
「妹尾さんは、何をお願いしたんですか?」
 私が聞くと、妹尾さんは胸を張って得意げに答える。
「もち、彼女ができますように」
「無理ね」
 あ、へこんだ。
「無理じゃない!」
 けど、すぐに復活して反論する。妹尾さんの、こういうタフなところは見習わないといけないな。
「無理よ。だってあんた・・・」
「どこがどう無理だって・・・」
 いつもの掛け合いが始まり、私はぼんやりと眺める。
 本当に仲がいいんだなぁ。
「そう言えば、さっちんは何をお願いしたんだ? 結構時間かかってたけど」
 妹尾さんにいきなり振られて、私は戸惑ってしまった。
「え、あ、わ、私ですか」
「そうね。一番最後だったもんね」
 お姉ちゃんも乗ってきた。
「私は……内緒です」
 少し考えた末に、私が笑顔で言うと、二人は文句を言う。
「不満だったら、当ててみてください」
 そう言ったとたん。
「あ、胸か」
 妹尾さんがとんでもないことを口にする。
「ちっ、違いますよーっ」
 慌てて否定する。お願いしたくらいで大きくなるなら、お百度参りだってやるよ。
 と、ぽんとお姉ちゃんの手が、私の肩に乗る。
 な、なんで頷いてるの?
「大丈夫よ。わたしの妹なんだから」
 本当にそう思いたいよ。でもね……。
「お姉ちゃんの大丈夫はあてにならないよー」
 そう、お姉ちゃんのこの言葉ほどあてにならないものはない。
「どうしてよ?」
 お姉ちゃんは少し眉をつり上げる。
「だって、塩と砂糖を間違えて使うんだもん」
 お姉ちゃんの顔がすぐに赤くなっていく。これはどっちかというと、恥ずかしいからだと思う。
 以前、母の代わりにお姉ちゃんがご飯を作ろうとしたことがある。一番簡単な、パスタだったんだけど、なぜか、そのパスタが甘かった。それ以降、お姉ちゃんは料理をさせてもらっていない。
「マジで!」
 妹尾さんが目を丸くしてる。
「あ、あれは……」
 
 三人でからかったりからかわれたりしながら、同じ時間を過ごしていく。ずっと、こんな時間が続いて欲しいと、私は心から願う。そして、いつも側にいてくれるお姉ちゃんや妹尾さん、私を生んで育ててくれたお父さんやお母さん、そして、私にこのような素晴らしい環境を与えてくれた神様に届けたい。
 たった一言。
「ありがとう」と。

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